ウケる雑学

世界のびっくり人間たち ~舩坂弘~

太平洋戦争は日本やアメリカ双方に多くの犠牲を出して終わりました。そんな中、その戦いぶりがアメリカ兵に絶賛され、戦後にその活動から「生きている英霊」と呼ばれた舩坂弘をご紹介します。

≪「生きている英霊」舩坂弘とは?≫

彼は現在の栃木市の生まれです。1941年に宇都宮第36部隊に入隊、その後は満州に渡り国境警備の任務に就きます。剣道や銃剣術も有段者の腕を持ち、その一方で小銃の扱いにも長けていました。満州の任務を終え、もうすぐで除隊という頃に戦況が悪化し南方戦線に移動が決まりました。

≪パラオ・アンガウルの戦い≫

この地は第二次世界大戦のパラオ‐マリアナ戦役の最後の戦いの場でした。舩坂はこの地で奮戦します。激しい戦闘の中左太ももを負傷、数時間放置されて後に軍医にも見放されるも包帯代わりに日章旗を巻いて止血、そのまま夜通し這って行って陣地にたどり着きました。その後同じように重傷を負うも不思議と翌日には回復するということばかりだったそうです。そんな状況にあっても拳銃で敵を倒し、負傷していても銃剣で戦うなどの鬼神のごとく奮戦してする姿を部下から「不死身の分隊長」「鬼の分隊長」と呼ばれました。

≪重傷の身で敵陣へ≫

舩坂他日本兵は奮戦するも食料も水もない戦いで次第に追い詰められます。彼も腹部を撃たれて重傷を負い、これまでと考え自決を試みますが、手榴弾が不発しなぜ死ねないのか、と考えたそうです。味方が次々と斃れる中、一矢報いようと敵陣に特攻を試みます。手榴弾6発と拳銃1丁を手に四日後敵陣に到着し、指揮官たちが集まる所を狙って茂みから姿を現しました。この時の彼は大小24か所の負傷の上、長い間這って移動してため服はボロボロ、さながら幽霊のような状態だったそうです。その姿に米軍は動揺しますが、首を銃撃され倒れました。米軍の軍医は無駄だと思いつつも野戦病院に収容。軍医はその奮闘ぶりに「これがハラキリだ。日本のサムライだけができる勇敢な死に方だ」と語ったそうです。

≪3日後に蘇生!捕虜になるもひと暴れ≫

死んだと思われた舩坂でしたがなんと3日後には蘇生します。彼は情けをかけられたと勘違いして暴れまわり、駆け付けた警備兵の銃口を自分に向け「早く撃て!」と叫んだそうです。その後、別の収容所に移送されますが移送先でも重傷の身で脱走し、弾薬庫を爆破するなど彼の闘志は衰えることはありませんでした。その姿を米軍兵は恐れながらも勇気をたたえて「勇敢なる兵士」の名を送ったそうです。その後はアメリカ国内の収容所を転々として1946年に帰国しました。

≪帰国後、書店開業へ≫

日本に帰国すると最初にやったことは自分の墓標を抜くことだったそうです。それもそのはず、アンガウル島の守備隊は玉砕したと言われていたため戸籍上では死亡していたようです。しばらくの間は幽霊ではと村人に噂されていました。その後はアメリカの先進性を学ぶべきだと考え、渋谷に書店を経営します。これは現在も渋谷にある大盛堂書店です。その後は自身の戦争体験を本にし、アンガウル島に慰霊碑を建立、収骨に人生を捧げました。そんな彼を知る人は「生きている英霊」と呼んだそうです。そんな不死身の分隊長も2006年2月11日に亡くなりました。