ウケる雑学

世界のびっくり人間たち ~ブラド三世~

ドラキュラと聞くとニンニクが嫌いで十字架に弱い吸血鬼を想像しますよね。しかしこのドラキュラにはれっきとしたモデルがいます。それがルーマニアをオスマン帝国から守った英雄、ワラキア公ブラド3世です。

≪名前の由来≫

そもそもドラキュラとは吸血鬼を意味する言葉ではなく、ドラクルというルーマニア語でドラゴンを意味する言葉です。彼の父親ブラド二世が竜騎士の称号を持っていたため、その息子であるブラド三世もドラクルを名乗っていました。本人のサインにもブラド・ドラキュラと書かれていたものがある為、好んで使っていた可能性があります。

ではなぜ彼は吸血鬼と呼ばれるようになったのでしょうか?

≪残虐すぎ!「串刺し公」と呼ばれ恐れられる。≫

彼が吸血鬼と呼ばれるにはその統治体制とオスマン帝国との戦いが原因にあります。彼は領内の統治にはかなり厳しく、反逆者には串刺しの刑を行っていました。基本この刑は重罪を犯した農民にのみ適用されており、当時からすれば珍しいものではなかったのですが、彼は貴族だろうと自分に反逆するものは容赦なくこの串刺し刑を行っていたのです。周囲に敵対する強国の多い中、自分に権力を集めるための処置でした。この他にも貴族を酒宴に呼んで虐殺したり、貧民や病人をまとめて焼き殺したりと非道なエピソードに事欠きません。

そして何よりも串刺し公の名前を知らしめたのがオスマン帝国との戦いでした。ワラキアはオスマン帝国に臣従していましたが貢納金の値上げを関係が悪化、オスマン帝国はワラキアに侵攻を開始します。この際、ブラド三世は国を守るために立ち上がります。徹底してゲリラ戦と焦土戦術で敵を疲弊させます。そしてある日、夜襲を行い2万人近いオスマン兵を捕虜にし、一時撤退に追い込みました。その後再度オスマン帝国が侵攻を開始すると、そこには想像を絶する光景が待っていました。彼らの目に二万にもおよぶ串刺しにされたオスマン兵の姿があったのです。そのあまりの光景に自分も捕虜になればああなるとオスマン兵は戦意を喪失、指揮官であったメフメト二世ですら戦意を根こそぎへし折られ撤退することになりました。その苛烈な戦い方からブラド三世は「カズィクル・ベイ(串刺し公)」とオスマン帝国で呼ばれました。その後メフメト二世は直接対決を避け、ワラキア国内の反ブラド勢力を動かし、ブラド三世を失脚、幽閉させるに至りました。

≪そして吸血鬼へ…。≫

彼のあまりにも残虐な戦い方と統治は敵対勢力によって利用されてしまいます。人を無差別に殺して血肉を食らうなどの誇張させた悪行を流布させることで民心を離れさせようと考えたのです。その後政治的な理由でキリスト正教会からカトリックに改宗するなどを行った関係で求心力を失い、オスマン帝国との戦いの中戦死しました。その後はキリスト教社会において「竜」=「悪魔」と解釈されることもあって、ドラクルの称号が「悪魔の子」と解釈され、ヨーロッパの吸血鬼伝承と残酷な行いが結びつき、ブラム・ストーカーによってドラキュラ伯爵のモデルとなりました。

いかがでしたでしょうか。ちなみに幽閉時代は割と悠々自適に過ごしていたらしく、監視着きながら出歩くこともあれば刺繍をたしなんでもいたようです。現在でも評価の難しい人物ですが、その人となりを知ってもらえれば幸いです。