エースパイロットってどんなの?

第一次世界大戦は多くの新兵器が投入され戦争の様相を一変させた出来事でした。特に航空機の登場で戦場は空にまで及ぶようになります。今回はそんな空の戦いでエースと呼ばれた人たちを紹介します。



そもそもエースパイロットとは

皆さんはエースパイロットの定義をご存知ですか?各国によって若干定義に差がありますが、エースパイロットとは航空機による戦闘が始まった第一次世界大戦時にフランスが10機以上の撃墜者をエースと定義したことに始まります。第二次世界大戦になると連合国、枢軸国共に5機以上の撃墜でエースとしています。ちなみに撃墜数は基本申告制で誤認も多かったそうです。そのため僚機や地上の目撃証言や撃墜された飛行機の残骸の確認などを使って検証することになります。

ではエースパイロットにはどんな人達がいたのでしょうか?有名な所を簡単にご紹介します。



「レッドバロン」マンフレート・フォン・リヒトホーフェン

第一次世界大戦において最も有名な撃墜王の一人。撃墜数は80機でその機体が真っ赤に塗られていたことから「レッドバロン」「赤い悪魔」と呼ばれました。ちなみアニメ「機動戦士ガンダム」で登場する赤い機体に乗って戦うシャア・アズナブルのモデルです。マンガ、スヌーピーにもレッドバロンをモデルとした話が登場します。



「ウクライナの黒い悪魔」エーリヒ・ハルトマン

第二次世界大戦において最も多い352機を撃墜したドイツ空軍のエースパイロットです。機体の機種を黒くマーキングしていたことにより連合軍からは「黒い悪魔」と恐れられました。その戦い方は一撃離脱戦法を得意とし、僚機を失うことは敗北であるという考えを持っていました。そのため1405回の出撃で一度も僚友を死なせることが無かったらしく幼馴染の妻、ウルスラに手紙で「歴代最高の撃墜数よりも、一度も僚機を失わなかったことを誇りに思っている」と語ったそうです。ちなみに顔立ちが幼かったため同僚からはブービー(坊や)と呼ばれていました。



もう一人の300機撃墜のエース ゲルハルト・バルクホルン

エーリヒ・ハルトマンに並んで300機撃墜を成し遂げたエースパイロットが同じドイツ空軍でハルトマンの上司だったゲルハルト・バルクホルンです。1937年にドイツ空軍に入隊し東部戦線で5機撃破のエースパイロットなるとスコアを更新し続け撃墜数301機を果たします。物静かで控えめな性格で敵機に命中弾を与えては脱出の機会を必ず作る人格者だったそうで、敵機の横については脱出を促す光景は部下のハルトマンらにも目撃されていたらしくその人格を上司や部下の他、連合軍のパイロットにも高く評価されていたそうです。



「大空のサムライ」坂井三郎

日本にも多くのエースパイロットがいますがその中でも2000km飛ぶことのできる零戦で200以上の出撃をこなしたエースパイロットが坂井三郎です。2000kmを超える長距離飛行は体に相当負担がかかるのですがそれを繰り返しながら多くの撃墜数を誇り、さらに僚機を失うことなく、生還させています。ちなみに硫黄島での防空戦では戦闘を終えて帰還しようとしたら間違えて敵編隊に合流してしまうミスをしますが、なんと敵の攻撃をすべてかわして帰還したそうです。

いかがでしたでしょうか。この他にも第一次、第二次世界大戦を見ると多くのエースパイロットがいます。彼らは互いに死線をかわす間柄でしたが尊敬しあい、自分のプライドの誇り高い人たちでもありました。そんな彼らの生きざまをこの機に知ってみてはいかがですか?


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