処女は君主が奪うものだった!?

最近のわが国ではすっかり忘れられた感がありますが、かつては「処女」は大切にされていました。高校生でセックスしてしまうような女子は「不良」か「あばずれ」とされ、場合によっては親に勘当されてしまいます。新婚初夜までは「処女」は守り通すべきもので、一度でも性交してしまったら女性の価値は大きく下がると考えられていたのです。「処女膜再生手術」が流行したこともありました。意外かもしれませんが、こうした価値観は日本の歴史上では新しい考え方で、大正時代以降に根づいたものです。

江戸時代以前においては、わが国の性の倫理観は開放的でした。結婚とセックスは別物と考えられていましたので、女性たちは好きな相手ができれば、神社の物陰や森の中で経験していたのです。結婚相手は親が決めるもので、結婚式に初めて顔を知るということもありました。初対面で初夜を迎えて失敗しないように、また、夫婦になってから性を十分楽しめるように、独身時代から経験を積んでおく必要もありました。

西洋では、古くから「処女」は重要視されてきました。キリスト教の教えにより、結婚するまでは誰のペニスも受け入れてはいけないことになっていたのです。ただ、封建制度の時代においては、住民は皆、君主の所有物です。所有物が勝手にセックスをしてはいけません。最初に貫通させるのは君主の特権とされ、新婚初夜には最初の味見をすることになっていたのです。初夜までは処女を守り通すけれども、最初の夜には君主のペニスを受け入れたのちに、夫のモノを受け入れて、1日に2本立て続けに経験したのです。



処女の血はけがらわしい!?

封建時代の権力者たちは、自分の領地の女性をすべて所有し抱くことができると考えていました。特に、「処女」は大切なものなので、ぜひもらいたいと考えていたのでしょう。ただ、権力者が横暴になれば領民たちは不満をつのらせ暴動などが起きかねません。そこで、「処女の血はけがらわしい」という考え方が流布されるようになりました。せっかくの新婚なのに初夜に出血してシーツを汚してしまっては不吉だ、と信じ込ませていったのです。

そこで、領民たちの生活を守る立場の権力者が、「不浄の血」をすべて受けとめてあげよう!ということにしたのでしょう。こうして町中の女たちが、権力者と性的関係を持ったのです。



神官や親に処女を奪ってもらうこともあった!?

処女の血がけがらわしいという価値観は、権力者によって作り上げられて迷信に過ぎませんでしたが、次第に深く浸透していきます。中世においては「魔女」を信ずる人が多く、「魔女は処女の血を好む」と言われていたこともあって、娘の結婚を心配する親たちの中には、「初夜の前に誰かに処女を奪ってもらおう」と考える人もいました。そうした場合に信頼できるのは、牧師や神父たち。彼らに頼んで、娘を貫通してもらうこともしばしばあったようです。また、適当な相手が見つからない時には、父親が自ら娘のヴァギナにペニスを挿入し、処女を奪うこともありました。

「処女を奪う権利」については、世界中で存在が確認されています。男にとって、「処女」が魅力的だからでしょう。男性の征服欲を満たせるからなのかもしれません。


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